会社が従業員に転勤を命じることがありますが、従業員の家庭の事情で拒否されることも考えられます。
その場合、会社は強引に転勤命令権を発動できるのでしょうか?
原則は、従業員を転勤させることについて、事業主は承諾を得る必要がないですが、無条件に転勤命令が認められるわけではありませんので注意しなくてはいけません。
従業員の同意なく転勤命令が出せる条件
転勤命令権は、下記の要件を満たしていれば、従業員の同意を得ることなく命じることができます。
- 就業規則や個別の雇用契約書に、業務上の都合によって転勤を命じることがある旨記載されている
- 各地に支店があり、実際に業務命令に基づいて頻繁に転勤が行われている
- 勤務地や職種が限定されてない雇用契約になっている
このような条件で雇用されている従業員は、病気や介護といった特段の理由がないにもかかわらず、「長時間の通勤時間が負担になる」や「家族と離れて単身赴任できない」といった理由で、転勤命令を拒否することはできません。
判例から読み解く転勤命令権の原則的な考え方
転勤命令権について、有名な判例に東亜ペイント事件がありますが、この判例では、転勤命令権の原則的な考え方が示されています。
この事例では、転勤命令を拒否した従業員(営業担当者)が、それを理由に会社に懲戒解雇されたことで、その転勤命令と懲戒解雇の無効を主張して裁判で争われました。
この会社が命じた転勤について最高裁は
- 会社は就業規則で、業務上の都合により転勤を命じることがあると記載している
- 当該会社は全国に営業所があり、実際に営業社員の転勤が頻繁に行われている
- 当該従業員は営業担当者として雇用されている
- 雇用契約を合意した際に、勤務地を限定されていない
という状況から、
「従業員の同意なしに転勤を命じることができる」
としています。
したがって、転勤を想定して雇用する場合は、上記の条件を意識して雇用契約を交わす必要があります。
従業員が転勤を拒否するには、正当な理由がなくてはいけません。
転勤命令が無効にされる場合
一方で、東亜ペイント事件では、
転勤は(とくに転居の伴うもの)、従業員の生活に大きく影響を与えるものだから、事業主に転勤命令権を無制限に与えるものでもない
ともしています。
そして、転勤命令につき業務上の必要性がない場合でも、必要性がある場合でも
- 転勤命令が不当な目的・動機でなされ場合
- 従業員の受ける不利益が、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものの場合
など特段の事情がある場合は、権利の濫用にあたり無効とするとしています。
不当な目的・動機とは、会社や組合を辞めさせる意図や、いじめ・嫌がらせ目的で行われる転勤です。
これもまた以後の裁判の指針になっていて、従業員に転勤命令を出すときに、この2つに反してないかを考慮しなくてはいけません。
権利の濫用とは、「就業規則の規則遵守項目に入れておきたい「権利の濫用」」の防止を参考にしてください。
では、転勤命令が許される範囲とはどの程度までをいうのでしょう。
やはりそれには、転勤命令権が認められた場合の判例と、権利の濫用として無効とされた場合の判例を見ていくのが一番です。
転勤命令が有効とされた判例
最初に、転勤命令が有効とされた判例を見ていきます。
1.川崎重工事件
川崎重工事件は、転勤命令を家庭の事情で拒否したことで解雇され、その無効を求めて争った事例です。
この転勤拒否の理由として従業員が挙げたのは
- 結婚を控え夫婦共働きの必要がある
- 将来、郷里から母を引き取り養いたい
というものでした。
これについて裁判所は
- 転勤を命じる業務上の必要性があった
- このような家庭の事情による理由では、転勤命令の撤回を求めるには不十分
として、転勤拒否による懲戒解雇は正当としました。
2.ケンウッド事件
ケンウッド事件は、転勤を命じられた女性従業員が、通勤時間が長くなることで、3歳の子供の保育園の送迎ができなくなる、という理由で転勤を拒否した事例です。
これについて裁判所は、転勤を命じる業務上の必要性があり、不当な目的・動機から命じられた転勤ではないとしたうえで
「転勤による不利益は小さくないとはいえないが、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとまではいえない」
とし、転勤命令は権利の濫用に当たらないとしました。
育児・介護を抱える従業員に対しては一層の配慮が必要
育児・介護中の従業員に対しては、、現在ではより一層の配慮が必要となると考えておきましょう。
ケンウッド事件では、転勤命令権が正当と認められたとはいっても、昭和62年の話です。
現在では、育児介護休業法が改正され、従業員に転勤を命じる場合は、育児・介護との両立が困難な従業員に対しては配慮しなければならないとされています。
事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。
育児介護休業法26条
さらに、労働契約3条3には、従業員の「仕事と生活の調和にも配慮しつつ」という文言も入っています。
労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。
労働契約法3条3
育児介護休業法26条で述べられている「配慮」とは、
- 育児・介護の負担がどの程度のものであるか
- これを回避するためにどのような方策があるか
- 少なくとも、労働者が育児・介護を理由に転勤を拒んでいるときは、真摯な対応を求めるもの
であるとされています(明治図書出版事件)。
このような配慮がなされず、育児・介護中の従業員に転勤命令を行う場合は、育児介護休業法26条の趣旨に反することになり、転勤命令が権利の濫用として無効となる可能性があります。
以上のことから考えると、育児・介護中の従業員に対して転勤を命じる場合は、一層配慮しなければならないといえるでしょう。
転勤命令が無効とされた判例
次に、転勤命令が無効とされた判例を見ていきます。
1.明治図書出版事件
明治図書出版事件では、転勤を命じられた従業員が、妻が共働きであること、2人の子供が重度のアトピー性皮膚炎で週2回通院しなくてはいけないこと、将来両親の介護が必要なことを理由に、転勤を拒否した事例です。
この判例では、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものに、妻が共働きであることを前提とした、2人の子供の看護を挙げています。
両親の介護については、将来のことであり、差し迫った事情として存在してないとしています。
会社側は、転勤を命じるにあたり、金銭的な補償として、引っ越し代や賃料の9割負担、それとは別に3万円の手当などを行うことを約束していました。
この点について裁判所は、金銭的な不利益に対しては、相当程度の配慮を尽くしていると判断しました。
しかし、それを差し引いても、夫が転勤後には、妻が一人で仕事を抱えながら子供の看護をしなくてはならず、それを考えれば、金銭的な補填では十分とはいえないとしています。
そして、本件転勤命令は、業務上の必要性はあるとしながらも、
「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるという特段の事情がある」
として、権利の濫用として無効としたのです。
2.ピジョン事件
ピジョン事件は、精神疾患に罹って休職した従業員に対し、復職直後に片道2時間の職場へ転勤を命じ、その後病状が悪化して退職に至った事例です。
この転勤命令について裁判所は、
- 業務上の必要性が認められないか、あっても非常に弱いもの
- 環境変化や通勤時間の大幅な長時間化等が労働者の心身や疾患に悪影響を与えるおそれも否定できない
- その不利益・負担も大きい
とし、権利の濫用としました。
さらにこの事例では、転勤命令を出すにあたって、本人・主治医の意見もまったく聞いてないこともあり、安全配慮義務にも違反しているとされました。
従業員がメンタルや病気等を抱えている場合、本人、主治医、産業医の意見を聞いて、転勤に耐えられる状態かを考慮しないと、転勤命令権の管理の濫用に加え、安全配慮義務違反にも問われることになります。
転勤命令によるトラブルを防ぐには、厚生労働省が公開した「転勤に関する雇用管理のヒントと手法」にもあるように、従業員との意見聴取の場を持ち、意向確認を行うことも、プロセスの一つに検討すべきといえるでしょう。
転勤を拒否する従業員への対策は、「転勤拒否の従業員への対策は給与を「支払わない」こと」をご覧ください。
勤務地を限定して雇用した従業員への転勤命令
ここまでは、「勤務地を限定しないで雇用」した従業員に対する転勤命令についてでした。
勤務地を限定しないで雇用した従業員への転勤命令は、原則、同意を得ることなく行うことができます。
それに対し、「勤務地を限定して雇用」した従業員へ転勤命令を出すときは、従業員の同意が必要になります。
仮に、就業規則に「転勤を命じることがある」と記載していても、個別の労働契約書で勤務地を限定して雇用した場合は、労働契約の方が優先されるため、転勤には従業員の同意を得なくてはいけなくなります。
労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の内容と異なる労働条件を合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。
労働契約法7条
就業場所の範囲は、労働条件の明示義務にある項目で、2024年4月から新たに就業場所の「変更の範囲」も加わります。
労働条件の明示義務に違反した場合は、30万円以下の罰金の対象になります。
ただし、労働契約は口約束でも成立する点に注意がいります。
労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。
労働契約法6条
勤務地の限定を「する・しない」を口頭で済ましても、労働契約はその時点で成立するということです。
したがって、口頭での労働契約は、後で言った言わないのトラブルになる怖れがあります。
やはり、労働条件を従業員に明示するときは、証拠が残る書面にて行うことをお勧めいたします。
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